管理職者のEさんのケース
「Fさんは後輩を育てられるはずなのになぁ…」
Fさんは新卒で我が社に入社して、そろそろ3年目になる。
私が課長を務める部署で一緒に働いてきたが、彼女はコミュニケーション能力が高く、周りの人間関係を大事にする性格だと思う。
周囲のチームメンバーからもFさんは安心して話しやすい人と認識されているようだ。
彼女はもう仕事も一人前にできるから、今年から新入社員のチューターになってもらい、後輩育成のスキルも身に付けてもらいたい。ほかの人と上手にやっていけるFさんだから問題ないだろうと思い打診してみたら、「いえ、私にはできません。」と断られた。今後のことを考えると、部下を育てる経験を少しでもFさんに積ませたかった。
そこで、「じゃあ、Gさんと一緒に新入社員のチューターということだったらどう?」と聞くと、「それなら…」と渋々ながら引き受けてくれた。だが実際に4月になると、Fさんは新入社員から質問を受けても同期のGさんに話を振って及び腰なることが多い。Fさんひとりでも十分対応できる質問もたくさんあるのに。
気になってFさんに尋ねてみたところ、「やっぱり私には誰かを育てるなんて、まだ向いていないと思うんです。上手く教えられる自信がなくて…」とすごく困っていた。
管理職者の目から見て、Fさんはコミュニケーション能力も高いし、仕事も十分理解してくれている。
それなのに、どうしてチューターの仕事となると消極的になるんだろう。
ピッタリな人材のはずなんだが…。
部下と上司で「自分に向いている仕事」の認識がすれ違い、「組織として期待している仕事をしない」「自分のやりたいように仕事をする」。
こういった管理職者の悩みに対して、行動科学や心理学の観点から取るべき対応を具体的に解説します。
期待している仕事を部下がしない。その原因は認識のすれ違い
期待している仕事を部下がしない。そのようなことでお悩みの管理職者の方は多いかもしれません。
管理職者はチーム全体で達成したいゴールを見据え、そこから部下にどのような仕事をしてほしいかについての期待があるはずです。それは日々のコミュニケーションや目標管理面談などで伝えているのではないかと思います。
しかし、こちらが伝えたことを「分かりました」と言って引き受けたにもかかわらず、指示した内容の通りの行動をしてくれない。そのような場合もあるのではないでしょうか。
今回は、こうした状況に関してご一緒に考えていきましょう。
行動科学の知見から考えると、その原因は管理職者と部下の間の認識のすれ違いにあると言えそうです。

認識のすれ違いとは?行動科学的に解説
上司は部下の強みや適性をうまくとらえ、それらを活かせるように業務を与えているはずです。しかしながら部下本人は、「私にはできない、合っていない」と感じ、ピンときていない。こんな状況はないでしょうか。これが両者の認識のすれ違いです。
ところで、自分についての理解を他者との関係性の中で考える際には、心理学のジョハリの窓という考え方が役立ちます。
これは、自分という存在について、「自分・他者」×「知っている・知らない」を組み合わせて4領域に分けてとらえるというものです。
自分が知っているか否か | |||
知っている | 知らない | ||
他者が知っているか否か | 知っている | ① 開放の領域 | ② 盲点の領域 |
知らない | ③ 隠された領域 | ④ 未知の領域 |
ジョハリの窓を利用すると、
自分が知っている自分(①解放の領域、③隠された領域)が自分のすべてではなく、実は自分が知らない自分(②盲点の領域、④未知の領域)もあるということに気づくことができます。
それは、自分自身でも気づけない自分の強みや能力を、他者が知らせてくれることがあるということです。
例えば、Eさんは上司として、コミュニケーション力をFさんの強みと考えていました。
一方で、Fさん自身はそのようには考えていませんでした(②盲点の領域)。
私たちは、「自分のことは自分が一番知っている」などと、考えてしまいがちであるために、他者の言葉に素直に耳を傾けることが難しなってしまうことがあるのです。
しかしこんな時に、ジョハリの窓で示される他者の視点の存在を理解できていれば、気づかなかった自分の強みや魅力、見逃してしまっていた自分の至らない点などに気づくことができるかもしれません。
なお、自分に対する他者の意見を素直に受け入れられない状況の背景には、実は様々な理由があります。
例えば本人も気づいていながらそれを認めたくないために、人の話を聞き入れられない、敢えて気づかないふりをするというケースなども考えられるでしょう。
ですが今回は、成長過程の若手や新しい職務を担うことになった社員によくみられる、単純に自分の強みに関する他者の視点に気づいていないというケースを想定して話を進めたいと思います。
上司はこうしたらよい。対応法と具体的な行動例を紹介
認識のすれ違いを解消する方法として、エピソードテリングという方法を使って、部下の自己理解を促進する方法があります。

エピソードテリングとは、本人のエピソード(その人らしさが表れている具体的な話題)使った語りで、相手の特徴や強み、弱みに気づかせるテクニックです。
今回のケースであれば、Fさんの強みであるコミュニケーションの高さや面倒見の良さについて、上司であるFさんが、具体的なエピソードに乗せて伝えるという形で活用できます。
例えば以下のような語りかけでできるでしょう。
「Fさんは、何か質問をしたらしっかりこちらに向き合って答えてくれる。忙しい時でも『30分後でもよいですか』などと伝えた上で後でしっかりと時間を作ってくれる。こんな声を周囲からよく聞きます。まだ職場に不慣れな新人などは先輩の時間をとることを申し訳なく思って、疑問があっても躊躇することがあるかもしれません。そんなとき、Fさんのように対応してもらえたら、彼らはきっと安心して質問できますよね。これはコミュニケーション力や面倒見のよさ、ひいてはチューターにふさわしいFさんの強みを表していると思います。」
いかがでしょうか。こんな形で、エピソード形式で伝えてもらうと、部下は自分のことをしっかり理解してくれていると感じることができ、相手の指摘や意見を受け入れやすくなることでしょう。
人は自分の成功体験や失敗体験をエピソードとして記憶し、それを蓄積させながら自分らしさを形作っていきます。ですので、他者から評価や指摘を受ける際も、こうしたエピソードテリングの形式を用いられと、自分の心の中にすっと入り受け入れやすくなります。
「やさしい」「面倒見がよい」「よく気が利く」といった言葉にして伝えた方が、シンプルだし伝わりやすいのではと感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかしながらこうした言葉は本人の特定の行動に対する他者の評価であり、本人にとっては必ずしも特定の行動との結びついたものではありません。そのため、そうした評価だけを伝えられても、自分のどの行動を指してそのように言っているのかがわからず、困惑したりピンと来なかったりするのです。
エピソードテリングは、管理職者からの評価ではなく、他のメンバーが評価していたという伝え方でも効果的です。
「同僚のGさんが、『Fさんがいつも困った時は手助けしてくれるから、同じ時間に働いているというだけで安心感が増す』と言っていたよ。」という伝え方でも、心のなかにすんなりと入っていくでしょう。
その他に、エピソードテリングには以下の効果があります。
・管理職者や他のメンバーは自分のことをよく見てくれているという感覚を本人に与えられる
・具体的な言動を根拠することで、評価の説得力が増す
・メンバーと当人の信頼関係を強化し、チームとしての一体感を感じさせられる
一方で、説得力のない強みに対するフィードバックは、前述した通り、管理職者の評価、所感だけを伝えるケースです。
「Fさんは話しかけやすい雰囲気だから、ちょっとした相談もみんなしやすいと思うんだよ』
このようなその人らしさやエピソードの具体性がない評価を与えられても、Fさんは実感を持ちづらいでしょう。
まとめ

今回は、認識のすれ違いのために期待している仕事に一歩進めない部下への対応について、エピソードテリングという手法をご紹介しました。
このテクニックは、部下との1on1でも活用すると効果を発揮するケースが多々あります。
部下が「できるかもしれない」と思える瞬間を作って自走を促すことは、管理職者の大きな役割のひとつです。ぜひこの手法を試してみてください。